栃木経由
栃木へ 母の兄(伯父)が先日亡くなった宇都宮へ。親戚回りもこれが最終日程。先日の葬儀を欠礼し、香典と花の送付しかしかなったので線香を手向ける。従兄が来てくれていたのがうれしかった。やや話が弾み、その後の連絡をとることにした。 宇都宮の餃子 餃子は餃子だね。特段、特徴って無い。 帰宅 総走行距離1800km余。くたびれた。
栃木へ 母の兄(伯父)が先日亡くなった宇都宮へ。親戚回りもこれが最終日程。先日の葬儀を欠礼し、香典と花の送付しかしかなったので線香を手向ける。従兄が来てくれていたのがうれしかった。やや話が弾み、その後の連絡をとることにした。 宇都宮の餃子 餃子は餃子だね。特段、特徴って無い。 帰宅 総走行距離1800km余。くたびれた。
静岡へ 首都高入谷から3号渋谷線経由の東名へ。クルマの台数は多いものの停まるような渋滞は無く、静岡ICで降りて親戚宅へ。昼飯をご馳走になって井川湖への山道を登る。何度も来ているが、今回は本当に参った。あの狭小区間に大型のダンプが対向車で来て、すれ違うのに10分は要した。やれ下がるか、やれ寄れるか、後ろからは来る、どうしようもない状態。しまいにはダンプがガードレールを擦るし。神経を摩り減らした。義父の軽トラックと道の途中で行き当たり、その場でシイタケ採りの手伝いをすることになった。山は涼しいとは言うものの秋田よりは暖かい。
期日前投票 土崎支所にて県議選一票を投ず。
余震ってレベルじゃない 7日夜、風呂から上がってTwitterやらFacebookやらを見ていたとき、23時32分頃に携帯電話の緊急地震速報が鳴った。正直言ってまたかと思った。オオカミ少年じゃないけどあの3.11から既に9回も鳴っててどうせまた大したこと無いだろって思っていたらほどなくして大きく横揺れ、まさに3.11レベルの揺れが来た。地震だ、と叫んで寝たばかりの奥さんに既に寝ている息子の保護を頼み、懐中電灯とラジオを確保した。自分も寝ようと思っていたので暖房やリビングの照明はもともと点いていなかったが、揺れが続くとともに無停電電源装置が働きピーピー鳴り出して停電したことがわかった。まぁ、どうせ寝ようとしていたんだから停電自体は別にいいんだけど、あのショックから立ち直りかけていただけにものすごく凹んだ。 ラジオを点ける。こんな時はNHK第一に限る。電池で聞けるラジオは我が家には3台あって、3台とも電池が入っている。宮城県沖でM7.4の地震が発生。宮城で震度6強、秋田市は5強と報じた。余震ってレベルじゃない。奥さんは恐怖を抱くとともに、このまま停電だったらご飯炊けないねぇと言った。保育園はどうしようか、保育園?停電ならやらないでしょ、まぁ停電なら仕事にならないから俺が休むから心配しなくていいし。病院は休めないからそっち優先で。などという会話をしつつ、外は雨も降っていて本当の暗闇の中ラジオを聞きながら携帯電話でFacebookを更新したりしつつ寝た。携帯電話のネットがつながるってだけでも気分は違う、3.11は何もできなかった。メールも友人やオヤジにつながった。無事ならいい。 8日、5時半頃起床。まだ停電しているのは明らかだった。大雨で暗い。コンビニその他は期待できないし、電子レンジも使えないだろう、ランチジャーに弁当を持っていこうということで前に使っていたランチジャーを出し、奥さんはご飯を圧力鍋で炊くことにチャレンジ。昨夜炊飯器にセットされたままのコメと水をそのまま鍋に移して10分加圧、10分蒸らす。ちょっとお焦げがある程度にうまく炊けた。LPガス、何て素晴らしい。オール電化ならこうは行かないのだ。お弁当を手際よく作って余ったご飯は昼に我々が食べることにし、朝飯は買ってあったパンを食べることにした。トーストはできないが、まぁ、ジャムとか塗れば食べられる。コーヒーもお湯があれば無問題。ラジオによれば水が出ないところもあるようだ、水はきついよね。息子を起こす。みんなでろうそくの明かりでパンを食べる。朝なのに暗いのは何かつらい。 7時半、どうせ電気が無ければ仕事にならないだろうし、保育園もこの様子なら休みだろうということで、自主的に自宅待機する旨、課長に連絡。メールが使えるのはありがたい、返信が来る。OKが出た。息子をクルマに乗せ、奥さんを職場の病院まで送りつつ、保育園に立ち寄って「今日は休みですよね?」と、一応。センセが一人いたが、一応。やらなくもないだろうけど停電なら給食も出ないし、どうしようもない。信号機が止まっている。国道の横断は不可能だ。なるべく左折を多用するルートで迂回しながら病院まで走る。奥さんを送り届け、ラジオを聞きつつ自宅に戻る途中、同僚のJ氏からパッシングを受ける。駐められるところで停まって話す。一応会社に行くそうな、ご苦労さん、俺は帰るよ。って帰ったところで薄暗い雨の中。自転車の練習も出来ないし、さてどうしようかと。 雑誌・てれびくんの付録でも作ろうかと、ゴーカイジャーのペーパークラフトを息子と一緒になって作る。寒い。旧来のストーブなんてうちにはないし、3.11のときも寒かったけど今日も雨で寒いのだ。息子にはパーカーを着せて、自分はハクキンカイロに点火してフランネルのシャツの胸ポケットに仕込んだ。快適。正午を過ぎても電気は復旧せず。ただ、秋田火力が動いたというニュースを耳にしてこれなら復旧は早いなと思った。薄暗い中玉ねぎとにんじんとベーコンを刻んで朝に炊いたご飯と炒めてチャーハンを作って息子と食べる。奥さんからメール、電気点いたよと。こっちはまだだけど、これならもう少しで点くかなと期待。 お昼を食べ終わる頃、電気が復旧した。その直後息子はリンゴジュースを盛大にぶちまけてくれた。やれやれ。約13時間停電していたわけだが、深夜帯が含まれるので実質困ったのは朝。これを来るべき東北電力の計画停電の予行と捉えると、概ね想定の範囲内ではある。今のところ保育園がどうなるのか、何も方針が無い。それが困る。後はどうにかなりそうなのだが。余震が収まりつつあって会社からも義援金を送金して新年度、気分も入れ変わろうかと思った矢先、またしばらく引き摺りそうだ。
東北地方太平洋沖地震 14:46 緊急地震速報をau携帯にて受信、間もなくM8.8地震発生(後にM9.0と判明)、潟上市内の会社にて被災。奥さんは夜勤明けで秋田市内自宅近所宅に、息子は秋田市内保育園にて。大きく長時間にわたる経験したことのない横揺れ。間もなく停電。 15:00頃 余震ある中で会社内撤収体制を作る。夕方まで降雪は約5cm。 15:18 奥さんより着信、奥さんが保育園に息子を迎えに行ったことを知る。 16:00前 上司より撤収命令、帰宅。途中のコンビニに立ち寄る。停電していたが店舗は営業、電卓対応。混雑しており、単一電池、弁当、おにぎり類は既に売り切れ。店舗にあった単三電池、メロンパン、りんごジュースを購入。信号稼働せず。 16:05頃 帰宅するも奥さんのクルマが無い、おそらく買出しに行ったと思い、待機。 16:10頃 奥さん息子と帰宅、一家の無事を確認。実家に向かって電話するも普通。小屋からクーラーボックスを出し、冷凍庫の中身を移し替え、ビニル袋に雪を詰めて冷蔵庫に投入。ランタン、懐中電灯、蝋燭を準備。水とガスの無事を確認。自宅、損壊無し。停電、携帯電話が通じない程度。 17:00頃 実家に対して連絡が取れる。無事を確認。日が暮れ始める。 17:30 夕食。冷蔵庫にあったラーメンを茹でる。水とガスは使えるので問題無し。 18:00頃 ラジオを聴き始める。太平洋沿岸の被害の甚大さを認識。 19:00頃 携帯電話が5回に1回程度はつながるようになる、東京の奥さん実家など連絡取れるところに連絡を取り始める。但し通話のみでメール、ネットは不通のまま。 20:30 就寝体制。着の身着のままで寝ながらラジオを聴く。余震が何度もあるので眠れない。 03:30以降、大きな余震が続く。 明け方、降雪約8cm程度。寒い。暖房は使えない。 07:00頃 雪寄せをして、お湯を沸かし、コーヒーを入れる。パンを食べる。 08:30 保育園に連絡が取れないので直接向かう。本日卒園式の予定で息子は送る側として出席予定だった。保育士さんに中止延期を確認。帰宅途中、信号機の倒壊、不灯を確認。 09:00頃 実家と連絡が取れる。夕方に行くことを伝える。 11:00頃 昼食、カレーうどん。 13:00頃 息子昼寝。近所の人たちと談話。 15:00頃 ブレーカーを落として実家に向かう、途中コンビニに寄るが何もない状態。土崎以南で通電を確認、秋田港のファミリーマートATMの稼働を確認、現金を得る。 17:00 実家で夕食。土鍋でご飯を炊く。千葉に住む弟と連絡が取れ、お互いの無事を確認。 19:00過ぎ、通電を確認、TVを久しぶりに見る。被害の甚大さを再認識。電気が通じたことで、実家で風呂に入ることにする。 20:00 帰宅。途中経路の通電状況を確認。通電している様子なのでブレーカーを上げる、問題無し。 21:00 各所に電話。ひかり電話は復旧。ネット不通。 22:00 ネット接続復旧、とりあえずこれを記す。