死亡記載
死亡記載という手があったね(急に思い付いた)。仕事が超暇なので、午後から休暇を取って市役所本庁に行ってみることにした。結論から言えばこれで打ち止めと思っていた戸籍から2つ遡ることが出来た。高祖父の生まれは弘化元年とあるのでこのあたりが書類上は本当に限界のようだ。高祖父の死亡記載は明治38年、ああ、あの戒名のみの明治38年と彫られた墓石はあなたでしたか。それにしても、確かに分籍は大正8年だから90年前だけど、死亡記載はもっと前じゃないか。調べもせずに請求できませんと言い放った支所の戸籍係のおばちゃんにしてやられたぜ(簡単に諦めてはいけないのだ)。直系の死亡記載ってのは結構使える手だな。 一番古い戸籍は南秋田郡八橋村であった。つまりは現在の秋田市八橋(やばせ)、昭和期まで八橋油田としてその名が知られた地区だ。とはいえ八橋と言っても広い、これは一体現在のどこになるのか。住居表示等を担当する部署はどこかと閑そうな案内窓口(ここに2人も必要か?秋田市財政を節減すべし!)に行ってみると地域振興課だという。秋田市役所別館(超ボロくて寒い)を初めて訪ねた。行ってみると「こっちは現在の街づくりを担当しているので」ってなことで、向かいが文書法制課(歴史資料担当)ということで、そっちに聞いてくれという。まぁ、そうかもな。入ってみると実にご丁寧に対応してくれた。八橋村は古くは谷橋村であり(そう、安政年間の墓石には谷橋村とある)これが明治22年まで、それから寺内村字八橋でこれが昭和16年まで、以降は秋田市に合併されたという。八橋村は現在の秋田市八橋本町にあたり、簡単に言えばAKT秋田テレビの交差点から面影橋までの両側を指すようだ。なるほど。 曾祖父はここの三男で分家したわけであるが、長男が本家を継いだであろう。この末裔が八橋に健在ならもう少し昔のことがわかるかもしれないが、それは期待できないかもしれない。なぜなら、その明治38年の墓を守っているのは私の母と伯父しかいないのだから。うーむ、まぁでもこんなもんだろうか。過去帳って手はありそうだが、母方だし、そこまですることも憚るよな。