マンツーマン
雨天時のマンツーマン。ただひたすら家の中にいるしかない。息子は勝手にミニカーでブブーと言いながら遊んでくれるので楽と言えば楽だが見てなきゃいけないから結局何も出来ない。
サイレントキー
ラジオNIKKEI(旧ラジオたんぱ)によるとBCL界の大御所、山田耕嗣氏が8月19日逝去されたという。67歳とは意外にも若い。若いというのは若くして亡くなったんだなぁ(癌であったらしい)という意味と、当時読んだ彼の著作はつまり彼が30から40代の頃のものであったのか、という驚きの意味で。いずれにしても残念なことである。面識は当然ないが彼の著作は小中学生当時、毎月のように読んでいた。主に電波新聞社「ラジオの製作(既に廃刊)」からで、そこからアマチュア無線、パソコン(当時はマイコンと呼んだ)、音楽、電子工作と派生していった自分の趣味は、現在の自分の仕事にもつながっている。その意味では多大なる影響を受けた一人である。合掌。 BCLとは何ぞやというのは興味のある人はウィキペディアでも調べてもらうとして、筆者がBCLにはまったのは80年代(まさにブームは終わっていた)。世間的には冷戦の真っ最中で、VOAやモスクワ放送ではなく「有事の際はBBC」と言われていた頃だ。当時はBBCも日本語放送をやっていた。短波の日本語はドイチェベレやアンデスの声を聞いてみたくて腐心した(なかなか聞こえない局として有名!?だった)。個人的にはKBSラジオ韓国、ベトナムの声、自由中国の声(台湾)なんかを好んで聞いていた気がする。 国内中波(531〜1602kHzのAM)の日曜深夜の静寂が好きだった。そんな中聞こえてくるのはJOUFのぬかるみの世界と中国語、ロシア語、朝鮮語の嵐。遠距離受信はそこから始まって、KBSラジオ韓国や北京放送はベリカード(受信確認証)をもらったりもした。モスクワ放送や朝鮮中央放送なんかを聞いているときは、事情通になった気分だった(なんとなく怖くて受信報告書は一通も出さなかった・書いたんだけど送れなかったな)。深夜といえばNHKが終わって、北朝鮮の乱数放送が聞こえてくる、あの瞬間に怖さを感じたものだった。 ジャミングが思いっきりかかっている711kHzに対して全くかかってない972KHzとかを聞くと、北朝鮮もどこまで本気なのかな、なんて子供心に思ったりもした。しかし原付の免許を取った16歳のとき、能代事件の展示を秋田の運転免許センターで見たことで頭の中でつながったことがある。「海さ一人で行げば北朝鮮さ連れて行がれる」展示には乱数表や偽造免許などがあり、あの放送で工作員が動いているんだ、というのを強く意識したものだった。拉致関連のニュースを表立ってやるようになる以前から「そういうことが世の中にはあるんだ」というのを意識するのに十分だった(そういえばあの展示室、無くなっていたなぁ)。 海賊放送とか謀略放送、地下放送の類。統一革命党の声とか救国の声、希望のこだま放送なんていうのは特に「政治」を感じたものの一つだ。何を言っているのか全くわからないが「罵り合い」をしていることだけはわかったという(笑)。インターネットによって世界中の出来事が瞬時に報じられるが、直接聞いてた、っていうのはまさに「リアルタイム」を感じたものでもあったし、今はやはり字面を通し、画像を通して「バーチャル」だなぁと思ったりもして、あまりにもリアルを感じなくなってしまったってのもある。ノイズに紛れて聞く短波。無線機はみんな実家にあるし、唯一自宅にあるICF-2001Dは高価な目覚ましラジオとなっている。たまには何か聞いてみようかな、山田耕嗣氏に哀悼の意を表して。