台風で、CSアンテナが逝ってしまったのだが、S氏から松下製のを送っていただき、無事に本日交換できた。SONYのチューナに松下のアンテナという組み合わせで復旧。レベルはSONY表記でパーフェク25、JSKY27といったところで以前よりいいかも。

プロ野球のことだけれど、釈然としない。スト云々以前に何で今この時期にこんな話なのか残念でならない。パリーグはプレーオフにどこが出るのか盛り上がらないといけないし、中日が久々に優勝するかどうかでせっかくセリーグもいつもと違った展開なのに毎日テレビに出るのはヤクルトの古田というのは一体どういうことなのか。一リーグへ急ぎ過ぎたパリーグ球団側のミスとしかいえない。そんなに巨人がうらやましいのだろうか?一リーグへの「郷愁」は何なのか。西鉄、南海、阪急、西武、そしてダイエーと実力のパ、強い時期がそれぞれあったはずで、巨人が強かった時代なんてV9の時代はもう30年も前の話なのだ。幻想を抱き過ぎている。巨人戦の視聴率だって低迷しているのに一体何にすがろうと言うのか。自分たちで努力してパリーグファンを育てようとしないのは一体何故なのか。僕は田舎ゆえにTVでは巨人しか知らないから巨人ファンで育ったかもしれないが、一番初めに被った野球帽は南海で、次が阪急、そして近鉄だった。巨人は江川も西本も中畑も原もクルーズも大好きで巨人戦のナイターは毎日見るほどのファンだったけど巨人の帽子は被らなかった。何しろ黒くて地味だったし、他にたくさんいたからだ。その頃から人と違うものが好きだったのだと思うが、南海は緑色が派手で当時好きだった。次の阪急はエース山田久志がいて、近鉄は村田辰美、小野和義がいたし、デザインも岡本太郎で秀逸だった。つまり秋田県出身のピッチャーがいたからだ。帽子を買ってもらうタイミングが合えば20勝のエース工藤幹夫がいた日ハムや三冠王落合がいたロッテの帽子も被っていたかもしれない。これらは買ってくれる親の予算の都合もあっただろう。丁度小学校に入るかどうかくらいから小学校を卒業するまでの6年間のほとんどを野球帽を被って通学し、遊んだはずであるが、記憶の範囲でセリーグの帽子を被ったことは無い。自分の街にある球団を応援する人種もあれば私のように郷土の選手がいる球団を応援する人もいるだろう。子供の時分は特にそうだった。しかも秋田は長らくセリーグから無視されていて試合興行が無かったが、80年代前半は日ハム、後半は近鉄、90年代はオリックスと、パリーグが積極的に八橋球場で興行してくれたので実際に見れるパリーグが好きだった。だから、僕にとって盗塁といえば松本ではなく大石大二郎や福本だったし、キャッチャーは山倉より古久保が身近だった。「見たことがあった」からだ。後に活躍する秋田出身の石井浩郎も当然好きだったから近鉄は「遠くて近い」球団の一つだった。秋田に来た試合はほとんど見に行った。90年代はオリックスが毎年のように来たので、ブーマー、門田、石嶺、DJ、ニール、簑田、藤井と豪快なブルーサンダー打線を見に行ったものだ。まさにエキサイティングリーグ・パ!だった。今や大スターのイチローも生で見たし、秋田出身の高橋功一が八橋のマウンドに立つと大歓声だった。この頃は既に「大人」になっていてオリックスの帽子を買うことはなくなったが子供の時代なら間違いなく買っていただろう(最近野球帽を被る子供がいなくなった原因は何なのか、野球関係者はそれをわかろうとも思わないのか)。つまり僕にとっては近鉄もオリックスも馴染み深い球団であり、その二つがいっぺんになくなって一つになるというのはどうしても解せない。関西では両球団とも阪神人気に食われて人気が無いのかもしれないが、僕のように全国各地に隠れパリーグファンは絶対にいるはずだ。そういう存在を無視して大阪ドームに客が来ないとか言わないで欲しいものだ。そうそう行ける場所じゃないわけだし、地方興行をやればパリーグだって満員になるのに営業努力が足りないのではないだろうか。何しろ巨人戦を初めて実際に見たのは90年代になってからで、東京在住時代に東京ドームに行って見たのが最初だ。斎藤が投げて清原がホームランを打った試合でよく覚えているが、屋根のあるところで野球を見るというのはイマイチピンと来なかったのもよく覚えている。いつから野球は屋内競技になったのだろうか。高校野球やオリンピックの野球を見て、やっぱり野球は外でやるべきであると思ったものだ。「今日のプロ野球は6試合とも雨で中止です」というプロ野球のニュースはもうなくなったのだけれど、あの時代の方が絶対に人気があった。サッカーが屋内競技にならないのはなぜか。雨が降ってもやるからではなく単純に外でやるから、ということだけのような気がするのだ。