街男号、さよなら運転~17日ラストラン

ありがとう、街男号ー。秋田市の看護師、皆川さんの初代通勤車両として活躍した日産「K11」マーチが17日、秋田市下新城ー秋田市高揚幸町間で「さよなら運転」を行う。昨年12月27日にダンプトラックによる逆突事故に遭い、修理見積額が契約していた損害保険の車両協定価格を超えることが判明、皆川さん側に過失が無く保険金が協定価格以上に支払われることが確定したことや、車齢9年を超え老朽化も重なり、修理してもあと数年ということもあって予定より少し早いが廃車を決定していた。 街男号は2001年に日産自動車の追浜工場で製造され、日産サティオ秋田から納入された日産マーチ・コレットfがベース。他社から経済性を追求したコンパクトカー、ヴィッツやフィットが登場する中、次期型K12の登場が判明してから購入した。「当時、80万円台で購入できて維持費こそ軽に及ばないものの車両価格が安かったのでトータルでは安かった」と話す皆川さん。次期通勤車両は「車両価格に差が無くなってしまったので維持費が安い軽自動車を導入する」としている。 街男号が走った距離は約7万キロ、これは地球一周と3分の4に相当する。消費したガソリンは約6000リットルとみられる。「さよなら運転」ではセレモニーなどの予定は無く、多くのファンなどが写真撮影に訪れることも特に予想されていない。「いつも通り運転し、ラストランを行いたい」としている。皆川さんは「大きな故障は一つも無かったが、事故には数回遭った。その都度修理して乗ってきたが、これが限界。ありがとう、ご苦労さま」とねぎらいの声をかけていた。 -秋田鬼新報1月16日夕刊より-

検証

カーステレオやスピーカーなど、残っていたものを全て外し、純正夏タイヤ2001年製ダンロップSP7を積んだ。BOSCH製のホーンも外した。純正ホーンは見つからなかったのでミストラル純正の高音側を一個だけ付けてやった。「さよなら運転」で鳴らすことが無ければそれまでだが、鳴ることは確認。一応、公道を走るわけだし、これで良しと。明日、うちの奥さんが家から勤務先、そして秋田スズキまで乗れればいいのでこれでいい。 考えてみれば、使用した夏タイヤは都合2セットだけだった。納車時純正のタイヤを3年ほど使ってその後ミシュランのパイロットプレセダ175/60R14を使い、今回最後に保管していた純正夏タイヤを使う。5分山なので十分だ。冬タイヤも実質2セット、最初のスタッドレスは東洋GARIT2で次がブリヂストンMZ-03。今冬横浜のIG20を買ったばかりだったが、これはシーズン半ばで終了、だけどマーチ純正サイズの155/70R13だから次のクルマMRワゴンWitに使えるだろうと考えている。Witは夏タイヤが165/55R14で、廉価グレードは155/65R13である。つまり13インチはOK。で、リム幅で多少変わるが、14インチならφ537、13インチならφ531で、マーチ純正サイズがφ547だから10mm違う。だけど直径で10mmだから、半径なら5mmだ。5mmなら誤差の範囲で当たることは無いだろうと思っている。つまり、無駄にはならないはずだ。 故障しないクルマだった。2001年に購入してクルマ屋に修理に出したことはゼロである。奥さんの軽微な事故によって板金塗装に出したことは1回あるが、その程度。車検は全て筆者が行った。電気系も優秀で、球切れが無いクルマだった。しかし細かい不具合はいろいろあった。まず、内装のビビリ。これは納車直後からあって、いろいろ策は打ったが、最後まで収まらなかった。プラスチックのビビリでもないし、奥の配線も全てスポンジで巻いてみたりしたが、ダメだった。最後は日産で一番安いクルマだからと諦めてしまった。

錆 ボディの錆も酷いものだった。5年目ぐらいから錆び出した。外装が錆びることは無かったが、内側はどんどん腐食した。ボンネットを開けてこうだと萎える。溶接部分の強度も心配になる。

錆アップ 端はもう、手で触るとぽろぽろと崩れるような状態。ミストラルもそうだったが、ボディはとにかく錆びる。その教訓からエスクードはノックスドールを施工して納車したが、次期Witも下回り防錆加工31500円のオプションを真っ先に付けた。

オイル漏れ エンジンオイル漏れもあった。オイルパンからの漏れはガスケットの交換で筆者が修理したが、その後、ブロックから漏れるに至り、諦めた。こうなるともう、素人の手には負えない。修理するかどうか悩んでいたところだったが、漏れといっても一日でオイルが一滴地面に落ちるか落ちないか程度のじわじわとした滲みであって、修理するほどでもないというか。そうこうしているうちに今回の事態に至った。 夏タイヤを春には購入しなければならない、バッテリーも次の夏には寿命など、色々掛かりマシになる時期であったということも今回「修理しないでお金で」という選択をすることの重要なファクターであった。